2009年02月24日(火)
待受画面は子供か犬が無難だ。
このところ司馬遼太郎作品を読み漁り、
さまざまなマイ・ブームを経験してきました。
『翔ぶが如く』 を読んでの
桐野利秋ブーム。
『坂の上の雲』 を読んでの
児玉源太郎ブーム。
『竜馬がゆく』 を読んでの
勝海舟ブーム。
特に、勝が亡くなる時に残した言葉である
“コレデオシマイ” は、
人類の歴史に残る名言だと思います。
自分の人生がまさに終わろうとする瞬間に、
こんなシンプルで、無駄がなく、
なお且つおかしみのある言葉を吐けるように
歳をとっていたいと思いました。
それぞれのブームが訪れている時、
僕の携帯電話の待受画面には
彼らの写真が登録されていました。
携帯を開くたびに、
桐野や児玉や勝が現れるのです。
この待受画面は女性に頗る不評でした。
理由は “気持ち悪い” だそうです。
彼らに申し訳ない気持ちで一杯です。
ごめんね、僕のせいで。
でも皆、安心しておくれ。
気持ち悪いのは君たちではなく、
あくまでそれを待受画面に設定にしている
“僕” だってさ。
さて、そんな僕に現在やってきているのは
織田信長ブームです。
待受画面には設定していませんが。
実は、彼に関する知識は少なくて、
“知ってそうで知らない” という感じでした。
せいぜいこれと、

これくらいでした。

要するに、教科書とゲームの知識しか
持ち合わせていなかったんですね。
司馬遼太郎氏の著作の中で、
戦国3部作といわれる作品があります。
その中の 『国盗り物語』 と 『新史太閤記』 を読んで、
にわかに興味が湧いてきました。
特に、新史太閤記では、
秀吉と信長の関係が細かく描写されており、
その美しい信頼関係に涙することもしばしばです。
ある意味、理想の上司と部下像ではないでしょうか。
ただ、僕が調べた限り司馬氏の著作では、
この2作品以外に信長が大きく扱われるものはありません。
しかし、これだけでは全然足りないのです。
やっとブームに火がついたところなのです。
もっともっと信長のことが知りたいのです。
信長が知りたいといっても、
歴史的な事実が知りたいのではなく、
あくまでも小説を読みたいのです。
そして、戦国時代に想いを馳せ、
時には登場人物とともに武者震いをし、
鬨の声を上げ、笑い、涙をしたいのです。
ということで、久し振りに司馬遼太郎作品以外を
読んでみることにしました。
それが、津本陽著 『下天は夢か』 です。
長らく司馬作品ばかりを読んでいたので、
他者の作風に馴染めるかどうか不安もありました。
が、そんな心配は全く無用でした。
かなり、面白いですよ。
台詞が名古屋弁というのがこの作品の特徴です。
それがまた、いい感じなんですよね。
人物同士の掛け合いもテンポ良く感じますし、
名古屋弁を通すことで臨場感も増すのか、
その場の風景が目に浮かぶようです。
自分でも驚きましたが、
読み始めた翌日には名古屋弁が移っていました。
いや、移ったというよりは、
わざと使ったという方が正確です。
友人 「明日の集合、15時でいい?」
僕 「よからあず。」
友人 「何?どうしたの?」
僕 「気になさらないでちょーでいあすばせ。」
「俺って単純!」 と思っていましたが、
この本が発売された当時の銀座社交界でも
しっかり名古屋弁が流行したそうです。
夜毎に集まってくる紳士たちが
俄か名古屋弁で会話をしている姿…
想像しただけで愉快な気持ちになってきます。
「8時だヨ!全員集合」 を見たあとの月曜日、
朝から志村けんさんのモノマネをしていた
小学生時代の僕と何も変わりません。
男の子って、死ぬまでこんな感じなんでしょうね。


さまざまなマイ・ブームを経験してきました。
『翔ぶが如く』 を読んでの
桐野利秋ブーム。
『坂の上の雲』 を読んでの
児玉源太郎ブーム。
『竜馬がゆく』 を読んでの
勝海舟ブーム。
特に、勝が亡くなる時に残した言葉である
“コレデオシマイ” は、
人類の歴史に残る名言だと思います。
自分の人生がまさに終わろうとする瞬間に、
こんなシンプルで、無駄がなく、
なお且つおかしみのある言葉を吐けるように
歳をとっていたいと思いました。
それぞれのブームが訪れている時、
僕の携帯電話の待受画面には
彼らの写真が登録されていました。
携帯を開くたびに、
桐野や児玉や勝が現れるのです。
この待受画面は女性に頗る不評でした。
理由は “気持ち悪い” だそうです。
彼らに申し訳ない気持ちで一杯です。
ごめんね、僕のせいで。
でも皆、安心しておくれ。
気持ち悪いのは君たちではなく、
あくまでそれを待受画面に設定にしている
“僕” だってさ。
さて、そんな僕に現在やってきているのは
織田信長ブームです。
待受画面には設定していませんが。
実は、彼に関する知識は少なくて、
“知ってそうで知らない” という感じでした。
せいぜいこれと、

これくらいでした。

要するに、教科書とゲームの知識しか
持ち合わせていなかったんですね。
司馬遼太郎氏の著作の中で、
戦国3部作といわれる作品があります。
その中の 『国盗り物語』 と 『新史太閤記』 を読んで、
にわかに興味が湧いてきました。
特に、新史太閤記では、
秀吉と信長の関係が細かく描写されており、
その美しい信頼関係に涙することもしばしばです。
ある意味、理想の上司と部下像ではないでしょうか。
ただ、僕が調べた限り司馬氏の著作では、
この2作品以外に信長が大きく扱われるものはありません。
しかし、これだけでは全然足りないのです。
やっとブームに火がついたところなのです。
もっともっと信長のことが知りたいのです。
信長が知りたいといっても、
歴史的な事実が知りたいのではなく、
あくまでも小説を読みたいのです。
そして、戦国時代に想いを馳せ、
時には登場人物とともに武者震いをし、
鬨の声を上げ、笑い、涙をしたいのです。
ということで、久し振りに司馬遼太郎作品以外を
読んでみることにしました。
それが、津本陽著 『下天は夢か』 です。
長らく司馬作品ばかりを読んでいたので、
他者の作風に馴染めるかどうか不安もありました。
が、そんな心配は全く無用でした。
かなり、面白いですよ。
台詞が名古屋弁というのがこの作品の特徴です。
それがまた、いい感じなんですよね。
人物同士の掛け合いもテンポ良く感じますし、
名古屋弁を通すことで臨場感も増すのか、
その場の風景が目に浮かぶようです。
自分でも驚きましたが、
読み始めた翌日には名古屋弁が移っていました。
いや、移ったというよりは、
わざと使ったという方が正確です。
友人 「明日の集合、15時でいい?」
僕 「よからあず。」
友人 「何?どうしたの?」
僕 「気になさらないでちょーでいあすばせ。」
「俺って単純!」 と思っていましたが、
この本が発売された当時の銀座社交界でも
しっかり名古屋弁が流行したそうです。
夜毎に集まってくる紳士たちが
俄か名古屋弁で会話をしている姿…
想像しただけで愉快な気持ちになってきます。
「8時だヨ!全員集合」 を見たあとの月曜日、
朝から志村けんさんのモノマネをしていた
小学生時代の僕と何も変わりません。
男の子って、死ぬまでこんな感じなんでしょうね。




